体験談

たくさんの国の高校生が群馬の高校へ留学しています。
また群馬の高校からたくさんの国に留学しています。
留学生を受け入れたホストファミリーと
留学生となった高校生の体験談を紹介します。

留学生になる・ホストファミリーになる

初めてのホストファミリー体験    関口高志

妻のインドネシアの友人、ヤニさんから「私の教え子が今度日本に留学することになった」との話は聞き及んでいたが、なんとその教え子ハビブ君が埼玉にいると聞き、ヤニさんから妻へのお土産を手渡したいということで倉賀野駅で初めてハビブ君に会った。その際飯島さんから、残りの期間の4か月どなたかホストファミリーとして受け入れてくれる方はいないかしらとお話があり、そういうことであるならば喜んで我が家で受け入れてみたいとご返事してしまう。子育ての経験もない60歳を過ぎた初老夫婦でだが大丈夫だろうかとの不安は、家に来てからほんの数日ですぐに拭い去られ、我われは明るく朗らかで人当たりのいいハビブ君のとりこにすらなってしまったのだった。

インドネシア、スメダンというところの高校で日本語を教えているヤニ先生。ここ数年妻は単身遊びに出掛け、先生宅にお世話になっており、私も二度おじゃましている。そして彼女の高校の日本語授業などにも参加させていただけて、熱心に日本語を学ぶ若者たちから得難い経験をさせてもらった。その体験を思うと、ハビブ君の日本語能力は出色だった。あいうえおなどばかり教えている先生を凌駕しているかもしれない。大変な努力をしてきていることが窺える。ただちょっとおっちょこちょいなところがあり、入国早々にバッグを空港に忘れたというし、高崎線車内に財布を忘れ、幸い籠原駅に届いていて受け取りにいった。だがしっかりとした将来の夢も描いているようでそれに向かって突き進んでいってもらいたい。

日々の暮らしでは、やはり食事がいちばんの心配だった。イスラムの戒律があり、食事制限は未体験のこと。幸いにもハビブ君は好き嫌いもなく、われわれの食べるものをなんでも美味しいと言ってたべてくれた。もちろん大いなる気を遣ってではあったと思うが。妻がインドネシアで手に入れて来た辛味調味料のサンバルを食卓に置くと、それはもう喜んでどんな食材にも大量にサンバルを振りかけて、真っ赤に変色した鳥のから揚げを頬張っていた。学校へ持参する弁当については、彼とも相談し、AFSからも500円を持たせることでもいいと聞き、結局彼には毎日学校のカフェテラスで友人たちと昼食をすませてもらうことにした。それはそれでクラスメイトとの交流も持て、良かったろうと我らの怠慢を許してもらうことにしている。
3月末までだった中央中等での学校生活も、新型コロナウイルスの影響で短縮され、帰国が急遽早まってしまい、我らもそして彼もとても残念だったと思う。しかしAFSと中央中等の手厚い支援のなか、ハビブとしてはとても素晴らしい得難い経験できたものと思って居る。そしてそのほんほ一助にでもなれたとしたら誇らしくも感じられる。
慌ただしく帰国の途についた彼は、ジャカルタで一週間隔離されるというようなこともなく、無事に両親のもとに帰れたと、連絡をくれた。その際「忘れ物をしました」と言い、やれやれまた何か失くしたのかと思ったら、「お二人にお礼を言うのをわすれました」と少し涙ぐんで言ってくれたのだった。

マイケとの日々を振り返って      進藤真紀

世界中が件のウィルスに振り回されることになるとは想像すらできず、平穏な日々を過ごしている中、オーストリアからの留学生マイケを群馬支部で受け入れること、当家で受け入れてもらえないかとのお話を頂きました。今回は、長女の結婚式の日取りが決定していた時期でしたので家族に負担の無い様にマイケの後半にあたる4か月間を3軒目のホストファミリーとしてお預かりする事となりました。期待と不安の両方が入り混じる中、ウエルカムパーティーで初の対面となったマイケは、大人っぽい背の高いスレンダー女子でした。

それから数か月後、我が家にお迎えする日が近づくにつれ、新型コロナウイルスの影響で世の中が大きく変わり始めました。前代未聞の一斉休校も始まる中で受け入れの日、3月7日を迎えました。当日は、マイケと同室になる中学生の三女、主人、私、猫2匹で到着を待ちました。背の高いマイケが大きなぬいぐるみと荷物を抱えてやって来たのがとても印象的でした。初対面の時より少しふっくらとして、ご飯をよく食べると聞いていたのも納得でした。AFSでフランス留学させて頂いた次女もほどなく帰宅し、すでに日本語も上手になっていたマイケとは初日からリラックスした様子で家族全員と沢山の話が出来ました。明るく、歌が好きでヘッドバンキングしながらノリノリな感じで歌う様子は三女と通じるものがあった様です。アニメソング「紅蓮華」を三女がピアノで弾きマイケが歌って(笑)。休校中の二人は一緒に勉強したり昼食を作って食べたりして、仕事に通う私としても安心でした。

しかしながら、新型コロナウイルスはさらなる猛威を振るいだしていたのです。AFSの春キャンプが中止となり、外出自粛の動きが出始めました。マイケとの日々は楽しく順調で、様々な規制が始まりつつある中でも学校再開に備え、マイケと一緒に選んで購入した大きなお弁当箱を使う機会が無くなってしまうとは。そして3月16日、土田支部長から緊急連絡が入りAFSの全プログラム中止が決定となったこと、マイケにも本国から連絡が入り、なるべく早く日本を発たなければならないとの方針を聞いたときには、家族全員、そしてマイケも有り得ない程のショックを受けました。
せめて、3月末に予定していた家族旅行が終わってからと祈るばかりでしたが…。17日の夕食後に、翌18日深夜便で関西空港からの帰国が決定となってしまいました。突然最後となった18日の朝食は、マイケの大好きな納豆。いつもは、大盛2杯は食べていたのに半分も食べられませんでした。今も思い出すと切ない気持ちになります。4か月の滞在予定がわずか11日間で終わってしまいました。

マイケとは、必ずまた会おうねと約束しお別れしました。関西空港からドバイ経由での帰路は長時間を要し帰宅するまで何度もLINEで連絡しつつ、無事到着したことを知り、本当に安堵した事を覚えています。あれから5か月が経ちました。いまだコロナ禍の行く末は不透明に思います。
AFSプログラムが再開できる世の中が早く戻ってくるよう、切に願うばかりです。

HF体験 設楽幸子様

2019年8月の終わりから3ヶ月半、オーストリアからの留学生、マイケのホストファミリーをさせていただきました。

我が家は初めてのホストファミリーで、留学生が来たら何処へ連れて行こうか、一緒に何をしようかとても楽しみにしていました。いざマイケを迎えてみると戸惑う事も沢山ありましたが、振り返ってみるとあっという間の3ヶ月半でした。

マイケは背が高くスタイル抜群な女の子でした。父親がペルー、母親はオーストリアとドイツのハーフと国際的で、母国語のドイツ語の他に英語、スペイン語、フランス語も話すことが出来ました。性格はどちらかというと内向的で、あまり感情を外に出さないタイプでした。外国人でしかも留学するくらいだからきっと人懐こくてオーバーアクションだろうと決めつけていた私達家族には意外な事でした。

私達家族は英会話スキルが低かったし、日本語を学びに来たのだからと思い日本語中心に生活をし、食卓でも普通に日本語で会話し、通じない時はグーグル翻訳やジェスチャーでコミュニケーションを取っていました。二週間程経ったころ、マイケの口数が更に少なくなってきたように感じ、AFSの事務局で、娘の英語の塾の先生でもある方と一緒に話を聞いてみました。すると、マイケは「家でも学校でも日本語がシャワーの様に降ってきて、私は意味が解らず黙っているしかない。」と言い、涙ぐみました。大人びた外見をしていても16歳の女の子、心細い思いをさせてしまい可哀そうだったなと思いました。この時はマイケのお父さんの母国の南米料理のレストランに連れて行った事をきっかけに、徐々に打ち解けてくれるようになりました。

マイケは共愛学園高校の英語科特進コースに在籍し、部活動は茶道、筝曲、弓道と様々な事にチャレンジしました。共愛学園は留学生の受入れに好意的で、カリキュラムもしっかりしていてマイケは恵まれていたと思います。担任の先生もきめ細かくフォローしてくださいましたし、友達もできて楽しい学校生活を送ることができた様でした。ただどうしてもテスト期間が近づくと孤独を感じるようで、期末テスト期間中には夜中に部屋から出てきて「眠れない。オーストリアの友達に会いたい。」と言って泣いていました。

せっかく日本に来たのだからと、歌舞伎、ディズニーランド、浅草など色々な所へ連れて行きましたが、振り返ってみるともっと日常の生活を楽しめるように工夫するべきだったのかなと思います。

新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、マイケは留学期間半ばで帰国する事になってしまいました。急な帰国だったにも関わらず高崎駅には沢山のお友達やホストファミリーの方々が見送りに来ていて、充実した留学生活を送ることができたのだなと嬉しくなりました。

初めてのホストファミリーだったので戸惑う事も多々ありましたが、AFSのスタッフの皆さんにきめ細かくサポートしていただき、感謝の気持ちで一杯です。留学生の受入は様々な人の善意とボランティアで成り立っています。今留学している方、これから留学しようと思っている方はその事を是非心に留めておいて欲しいと思います。

ホストファミリー体験      志村知未

昨年8月24日から約3ヶ月、初めて留学生の受け入れをしました。当時我が家の長男は1歳半。私も職場に復帰して4ヶ月と慌ただしい毎日を過ごしていました。そんなところにご縁があって、インドネシアからの留学生ハビブのホストファミリーをすることになりました。ホストファミリーをするにあたり、当初は長男と留学生双方にお互いの存在がストレスにならないか心配しましたが、すぐにそんな心配は必要なくなりました。

ハビブは真面目で思いやりがあり、とても自立した生徒でした。自分でスケジュールをしっかり管理し、毎晩遅くまで勉強に励んでいました。夕食後の皿洗いをしてもらいながらおしゃべりするのが日課で、週末には長男が寝た後にお茶を入れて3人でおしゃべりをし、夜更かししたのは楽しい思い出です。

夫とハビブは気が合い、二人で映画や買い物に出かけたりしていました。長男はハビブが大好きで、ハビブが学校から帰宅すると待ちきれず玄関でお出迎えをしていました。絵本を読んでもらったり抱っこしてもらったり、一緒にたくさん遊んでもらいました。
長男が小さいので、限られたお出かけしかできませんでしたが、群馬サファリパークや軽井沢、水上温泉への旅行では夫とハビブが長男を温泉デビューさせてくれました。また、長男の保育園の運動会やお遊戯会、保育参加も一緒に参加し、保育園の先生方は長男の懐きように驚いていました。
私と夫の家族とも親しくなり、特に私の父はハビブとのLINEのやりとりを今も楽しみにしています。

受入期間を振り返り特に気をつけたことが2つあります。
1つ目はハビブは食事制限が必要なイスラム教徒であったため、豚由来の食品とアルコール類を用いないで料理する必要がありました。最初は戸惑い気負ってしまいましたが、冷蔵庫の中身を確認しハビブが間違えて食べないよう印をしたり、豚由来の食品とアルコール類の購入を控え献立を考えるようにしました。夫やハビブに相談したりもしました。慣れるまでは大変でしたが、やってみるとどうにかなるんだなと思いました。
2つ目はハビブに寒さを理解してもらうことでした。寒さに不慣れな彼に風邪をひかないように体調管理をしてもらうこと、その為には服装に気をつける必要があることを伝えるのは難しかったです。

約3ヶ月と短い期間でしたが、振り返ると様々なことが思い出されます。ですが家族皆、とても楽しい3ヶ月だったと思っています。
私自身は自分の留学生活に思いを馳せ、自分のホストファミリー、特にホストマザーの偉大さを改めて感じる機会となりました。留学後にAFSの体験は一生続くよと言われました。当時はその言葉の意味はわかりませんでしたが、今回の経験を通して、あの言葉は本当だったなと感じているところです。そして、この先も続くであろうAFSの体験が楽しみです。
最後に我が家をサポートしてくださった群馬支部の皆さんに感謝いたします。ありがとうございました。

LP(留学生、ホストファミリーを地域の中で支えるサポートボランティア)体験談       飯島 孝子

縁あってハビブ(インドネシア)のLPとなった。

高崎駅の新幹線ホームで迎えて、近くのロイヤルホストで一服。
ハビブはイスラム圏の18歳の男子。期待と不安と緊張でいっぱいの様子だった。
この1年の留学が彼の人生の中で貴重な経験になるようにサポートできればという思いでいた。その時突然、本部からの電話・・・。ハビブの貴重品が入っているバックが東京駅に置き忘れているという。青ざめるハビブ。最初のLPの仕事は、往復新幹線でハビブの貴重品を学ボラ(学生ボランティア)から受け取るというものだった。ハビブの気持ちを考えると、無事に受け取って、早く届けなければということしか考えられなかった。LPの最初の仕事だった。これから1年、大丈夫かな。そんな不安もちょっぴり出てきた。

ホストスクールは中高一貫の中央中等教育学校。子供たちは、部活にも勉強にも前向きでとにかく忙しい。4年生のクラスに配属された。6年制なので人間関係もできあがっている様子。果たしてどのように馴染んでいけるのか・・・。ハビブの緊張感が伝わってきた。
日本語指導ということで、週に1度はマルチメディア教室(図書室)でハビブと会うことができた。日本語指導も何をどうやっていけばと不安だったが、話を聞いたり、今後の予定を確認したりしながら、学校や家での様子を聞くよい機会となった。最初の大きなショックは大学見学へ行く道中のバスの席の隣に誰も座ってくれなかったことだった。担当の先生に学校での様子を聞くと、友達や先生との関係もよく特に問題はないとのことだった。その後、腹痛も続きお医者に行ったり学校を数日欠席したり・・・。今振り返ると一番心配した時期だった。
その後は体調も回復し、日本語指導に行くたびに友達から声をかけられたり、また、あるときには進路担当の先生と世間話で盛りあがっている様子も見られ、学校での生活を前向きにがんばっている様子が感じられ嬉しかった。日本語もどんどん上手になり、交友関係もそれに伴って広がっていった。
11月にはファミリーチェンジも経験し、2つめの家族との生活がスタートした。1つめの家族と同様、ハビブのことをとてもよく理解してくれた。12月の中旬より、私が産休教諭として仕事復帰。日本語指導は支部員の上代さんが快く引き受けてくれた。群馬支部のバックアップが心強かった。初めて体験する冬もハビブにとっては魅力的だったようだ。

新しい年を迎え、学校行事として企業見学があった。バスでの移動だったが、隣には友達が座ってくれたと報告してくれた。とてもうれしそうだった。
そして、何より印象に残っているのは、東京学習会及び支部交流会(2月7~8日)。いつもは春にやっている群馬支部の恒例行事。春にはまだ、群馬に来ていなかったハビブとマイケ(オーストリアからの留学生)のために企画された。お泊まりは恒例のオリンピックセンター。お台場・チームラボ・明治神宮・イスラム教寺院、東京ジャーミイ・上野動物園を巡った。珍道中ではあったがとにかくよくしゃべった。
忘れることができないのは、東京ジャーミイでのハビブのお祈り姿。そして美しい教会。「百聞は一見にしかず」とはよく言われるが、まさにこの一言だった。肌で感じた異文化体験だった。イスラム教への理解が深まったのを実感した。ランチは、併設しているレストランでもちろんハラルフード。みんなでおいしい、おいしいといいながらほおばった。

その後、コロナの流行で当初予定されていた3月22日を待たず、3月8日に帰国することが決まった。
お友達がサプライズでお別れ会をしてくれたり、色紙をかいてくれたりと急な帰国にもかかわらず、忙しい中ハビブのためにいろいろ企画してくれた。感謝しかなかった。よい1年を締めくくることができた。
群馬を離れる日、高崎駅には、2つのホストファミリーをはじめ、多くの中等生・保護者・先生方が集まってくれた。充実した留学生活を確信することができた。笑顔でバスに乗ったハビブが輝いていた。

今、振り返ってみると、サポートする側の私が、ハビブから学んだことがこの留学期間にたくさんあったことに、今更ながら気づかされた。

いつも笑顔で他人を気遣うことができる子だった。
「ハビブ、元気?」の答えは「元気です。いじま(いいじま)さんは?」
機嫌が悪い様子は一度もなかった。
きちんとした挨拶と心遣い。とにかくたくさんの方と知り合いになった。カフェテリアの方ともとても仲良くなったとか。

日本語を一生懸命学ぶ意欲。学校の先生方ともたくさん話ができた。
コミュニケーション力。1泊2日の旅行でも支部員とたくさん話せた。

ハビブにとって有意義な1年になったと同時に私にとっても貴重なLP体験だった。
ありがとう。ハビブ。また、会える日が楽しみです

ブラジル留学      野中 勇介

約1ヶ月半くらいの留学期間でした。飛行機ではドイツ経由でブラジルに行き、そこから2回飛行機を乗り継いでホストファミリーの家につきました。日本からホストファミリーの家までは36時間くらいかかったと思います。僕の行った街は小さい街で人口は7000人くらいでした。

僕のホストファミリーは子供が3人いてお母さんとお父さん犬が2匹いたにぎやかな家族でした。すぐに子供達とは仲良くなりホストファミリーと喧嘩や苦に感じた事は1ヶ月半1回もありませんでした。夜になると近くにあるフットサルコートにいき大人と一緒に上裸で毎日11時までやっていました。学校はひとつしかなく、すぐに友達もでき、暑い日は川に行ったりサッカーをやりました。

学校はだいたい午前中に終わり、たまに先生がこなくてすぐに帰宅することもあったり楽しかったです。
ブラジルの文化も人柄も自分にあっていて街を歩いていると色々なお店の人が僕の名前をよんでくれます。大人も子供もみんな仲良くしていて日本でもあまり感じない人とのあたたかさを感じました。
1ヶ月くらいしたらオリエンテーションで違う街に1人でバスにのり行きました。
日本でコロナが流行っていた事もあり知らない街を歩くとコロナウイルスと僕を見て叫ぶ人もいました。
差別についてあまり日本にいる時は、肌の色などを差別している外国人の事をなぜ肌の色で差別するのか不思議でしたが自分がコロナと差別されると自分の中で自分自身の行動を見つめ直す機会になりました。

だけど、僕の留学は最高でした。友達もいっぱいできたし家族のことを僕は大好きです。
もちろんブラジルの事もなのでコロナで早期帰国と聞いた時は失望しました。
日本に帰りたくないと思っていてAFSを辞めることも考えていました。
AFSは僕達の体験が残念だけど、貴重な体験をしたといっていましたが、そんな貴重な体験をするよりも家族や友達とずっと居たかったと思います。

パイの受入れ      皆川朋子

2019年3月より2020年2月まで縁あってタイから来たパイが我が家の家族になりました。
うちは共働きのため、受入れ開始から学校が始まるまでの1週間程度は、AFS群馬支部の方が交代でパイを連れ出して下さり、日本での生活準備、通学のしかた等、沢山の事を教えて下さいました。

パイが学校に行き始めた頃は、どの部活に入るべきか沢山悩んでいました。10ヶ月のステイとなると、何度か学校の長期休暇が入ります。私たちがパイを連れ出してあげられるのは週末と祝日のみ。更に同時期に長女が高3で、九州の高校で部活に励んでいたこともあり、私が度々不在であった為、もし活動日が少ない部活に入ると、パイが1人で過ごす時間がとても長くなる事、せっかく日本に来たのだから心から通じ合える仲間に出会って欲しいことを伝え、何度も話し合いました。

最終的には、タイで友達と組んでいるバンドのドラムを担当していた事から、吹奏楽部に入部しました。そこからがパイの留学生活の本格的なスタートだったように感じます。パイの留学生活はほぼ全て部活。たまに休みがあっても部活の先輩や友人と食事や買い物にでかけたり。よほど楽しかったのか家でも旅行先でも時間があれば練習をしていました。

性格も良く、頭も良く、さほど部屋も散らかさず、当時小1の息子とも遊んでくれ、私の悩み相談にも乗ってくれ。どうしたらこんな息子に育つのだろう?とタイのお母さんに質問したこともあります。そうかと思えば、電車に乗り遅れたり、部活を忘れて週末寝坊したり、パスポートをコンビニに置き忘れ数日後の登校中の電車で思い出し、焦りながら連絡してきたり等々「お母さんどうたらいいですか?」というお茶目なパイに、「もう、しょうがないな」と言いながらゆっくりと家族になっていったような気がします。

部活ではコンクールに参加したり、定期演奏会ではドラムのみならず日本語で歌ったり、アラジンの衣装を着て踊ったり、ピアノでセッションしたり。彼が日本の生徒の一部となりみんなから認めてもらっていることを目の当たりにし、本当に嬉しくそして頼もしかったです。

帰国前には、抱えきれないほどのプレゼント、お手紙を学校の仲間達からいただき、パイを受入れて下さった明和県央高校と、担任であり顧問の町田先生、そして沢山のお友達に心から感謝です。

うっかり家の鍵を持ち帰ったパイは、「またすぐ戻ります」と出国前にメッセージを送ってきました。帰ってしまったと言うよりは、「いってらっしゃい」いう気持ちが強かったです。そして、寂しさもありましたが、10ヶ月大切なお子さんを見ず知らずの私達を信じて預けて下さったタイのご家族に感謝し、無事帰国させることができホッとしました。いつか2家族で会える日を楽しみにしています。

最後になりましたが、沢山のサポートをして下さったAFSの皆さまに心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

小林崇史 保護者体験記

娘は中学校の時から長期の留学に行きたいという思いを持ち、高校を選択する基準も留学を念頭に置いたものでした。英語圏ではないドイツを第一志望とし、希望どおり決定したことを聞いたときは驚きましたが、ドイツという国に対しての漠然したイメージは良く、選んだ以上は悔いのないよう精一杯留学経験を楽しんでもらえればと思いました。ドイツ行が決定してからは、ドイツ語を学習していましが、留学直前になっても、それほど上達したとは言えず、本人も私もかなり不安でしたし、またその他の生活面も不安だらけではありましたが、AFSのスタッフさんの話や留学体験者の方々の話を聞き、なんとかなるであろうと、多分に希望的観測を募らせ本人の力を信じることとしました。

 ドイツでのお世話になったホストファミリーは、ドイツ人のファザーとベトナム人のマザー、同年代のシスターと年上のブラザーの構成で、生活習慣の相違等々、家庭内の人間関係に悩まされたことも結構多かったようでした。また、学校生活についても、当初はほとんどなじめずに、孤立してしまっていたこともあったようで、確か留学してから2か月目くらいには、日本に帰りたいというメールが届き、娘には「留学はちょっと長めの旅行で、旅行にはトラブルがつきもの」とメールで返信し気持ちをしっかり持つよう激励しました。ただ、本当に途中で帰国することになったとしても、それはそれで仕方のないこととして、とにかく本人の判断に任せ、最終的には本人の意思を最大限に尊重することとしました。

9月ごろになって学校ではクラスが替わり、また、ドイツ語も何とか上達してきて、徐々に友人もできていったようでした。それに加えて、同じ留学生の友人のホストファミリーが、国内外の各都市に連れて行ってくれたりしたようです。なかでも、オランダにあったアンネフランクの隠れ家は、出発前から是非訪問したかったようで、実際に訪れることができ、大変いい思い出となったようです。
振り返ってみて、本人曰く、留学前の人生全部の期間より、留学期間の約11ヶ月は勉強になったということでした。勉強になったというのは、苦労が9割以上だったのでしょう。でもそれで本当に良かったのではないかと思います。親とすればこの貴重な経験を、これからの人生に大いに役立ててくれることを願って止みません。

最後になりましたが、日本AFSの本部、支部及びドイツAFSのスタッフの皆様、ホストファミリーの皆様、担任の先生他高校関係者の皆様、受入先の高校関係者の皆様、娘の友人等々、大変多くの方々にお世話になりました。この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

小林涼帆 留学レポート

私が留学を思い立ったのは、中学二年生の時でした。中二の夏休みに行った前橋市主催のオーストラリア研修で、現地に三年間留学している高校生が英語をペラペラに話しているのを見て、かっこいい、私もこんな風になりたい、と思ったからです。
ドイツに決めたのは、英語ともう一言語やってみたかったこと、ドイツの食に興味があったこと、自分がキリスト教の高校に通っているのもあり、世界の宗教、キリスト教について興味があったことなどからです。
去年の二月、私にとって初めてのヨーロッパ、ドイツでの11ヶ月の留学がスタートしました。着いてから始めの半年は、ドイツ語はおろか英語すら話せず、聞き取れず、ホストファミリー、クラスメイト、すべてにおいての人間関係において苦労したのを覚えています。
またカルチャーショックも多く、電車が時間通りに来ること、落し物が高確率で返って来ることなど、日本の常識は世界の非常識であることを痛感しました。ドイツの悪いところが沢山見えて、はっきり言って日本に帰りたくて仕方なかったことをおぼえています。
残りの半年間、英語もドイツ語もまだまだ不自由ながらもだんだん話せるようになってきて、色々な人とコミュニケーションが取れるようになり、拙いドイツ語、英語を使って話す日本という馴染みのない国から来た人の話を真剣に聞いてくれ、親切にしてくれたドイツの人々の優しさをたくさん感じました。

また、生活にも余裕が出てきて、ドイツ、日本の両方のいい所、悪い所を認められるようになり、以前よりも多角的な視点で物事をみられるようになったと感じます。
私は、留学中、ホストファミリーと相性が良かった、うまくいっていたとは言えませんでした。関係がうまくいかなかったことで落ち込むことも多かったです。一番関わるホストマザーがドイツ語しか話せず、私もまだ英語しか話せず、コミュニケーションの面でも苦労しました。

八月くらいまではホストチェンジも考えていましたが、色々な人に相談し、AFSのボランティアと話し合い、自分でもどうすればいいのかを何回も考え、ファミリーとも話し合いました。そうした過程の中で、自分の悪かったところを認め、これからはどうしたらいいのかをしっかり考えられ、結局はホストチェンジせずにホストファミリーと折り合いをつけ、最後まで頑張ることができました。
他人と暮らすのは、言語が通じていても難しいものです。文化も言語も違う国での私のこのホームステイで他人と第三言語で会話をし、折り合いをつけながら仲良く暮らす経験から得たものは想像以上に大きかったです。

この一年間、多くの人の支えがあって私の留学が成り立っていました。大変だったことはたくさんありましたが、すべてが恵まれたものだったように感じます。悩んだり迷ったりしたとき、手を差し伸べてもらえることの嬉しさを感じました。この感謝を他の人にも繋げていけるようにしたいです。